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音楽の歴史

ナッシュビルは街として成立した最初期から音楽を基盤として発展してきました。音楽は、この街と人々の魂をつなぐ糸です。そして、文化的、商業的、および社会的な構造の基本的な様式を美しく織り成す糸としての音楽を体験するために多くの観光客がナッシュビルを訪れています。

ミュージックシティの構築

1700年代後半、後のナッシュビルとなった地域に初期に入植してきた人々は、カンバーランド川岸に無事に上陸すると、バイオリンの演奏とバックダンスでそれを祝いました。ナッシュビルの最初の「有名人」であり、開拓者で下院議員だったデイビー・クロケットは、その華やかな人生とバイオリンの演奏で広く知られています。

1800年代になると、ナッシュビルは音楽出版の全米的な中心地へと成長しました。初の世界一周ツアーを実現した音楽グループは、ナッシュビルにあるフィスク大学のフィスク・ジュビリー・シンガーズでした。このフィスク・ジュビリー・シンガーズの取り組みは、南北戦争後に奴隷だった人々を教育するという同大学が掲げていたミッションの資金調達を助けただけでなく、ナッシュビルを世界的な音楽の中心地として有名にすることにも貢献しました。事実、英国女王は、フィスク・ジュビリー・シンガーズの演奏を聴いたとき「音楽の街」から来たに違いないと言ったとされています。

1930年代になると、フィスク大学にほど近いジェファーソン・ストリートがエンターテインメントと、音楽、そしてナイトライフの拠点として急速に発展しました。ナッシュビルのリズム&ブルースシーンの本拠地であるこの人気ストリート沿いには、スピークイージーや、サパークラブ、ダンスホール、そしてナイトクラブなどが立ち並んでいます。1960年代には、ジミ・ヘンドリックスとビリー・コックスがジェファーソン・ストリートのクラブ・デル・モロッコで専属で演奏を行っていました。のちに、ジミ・ヘンドリックスはナッシュビルで本当の演奏の仕方を学んだと語っています。1960年代には、ジミ・ヘンドリックスとビリー・コックスがジェファーソン・ストリートのクラブ・デル・モロッコで専属で演奏を行っていました。のちに、ジミ・ヘンドリックスはナッシュビルで本当の演奏の仕方を学んだと語っています。ジェファーソン・ストリートは、ナッシュビルのR&B音楽の誕生に貢献したと言われています。

ナッシュビルの歴史的音楽施設

ナッシュビルで最も有名な音楽施設であるライマン公会堂は、1892年に川船の船長トム・ライマンが建設したものですが、当初は「ユニオン・ゴスペル・タバナクル」と呼ばれていました。開館当時はオハイオ川以南で最大の公会堂でした。「南部のカーネギーホール」の異名を持ち、世界中からミュージシャンやファンが集まっています。ライマン公会堂は、ライブ音楽を体験する上でアメリカ国内最高の音楽施設として、ポールスター誌の権威ある「年間最優秀劇場」賞を14回受賞しています。

フィスク・ジュビリー・シンガーズは、ライマン公会堂ができた当初から演奏していたグループの1つです。ライマン公会堂は、1904年にライマン船長が亡くなった後、同氏に敬意を表して改称されました。

1904年~1955年にライマン公会堂の経営にあたっていたルラ・ナフは、マリアン・アンダーソンや、カルーソー、サンドラ・バーンハート、ルイ・アームストロング、ジョン・フィリップ・スーザ、そしてナット・キング・コールなど、当時の一流ミュージシャンたちを招いて公演を行いました。

1925年に始まったグランド・オール・オプリーを1943年にライマン公会堂に招致し、1974年まで毎週末開催したのはルラ・ナフでした。カントリーミュージックの殿堂入りスター、ハンク・ウィリアムズや、ジョニー・キャッシュ、パッツィー・クライン、ジョージ・ジョーンズ、ドリー・パートン、チャーリー・プライド、そしてエルヴィスらがライマン公会堂の舞台からオプリーに出演し、デビューを飾りました。

1925年、ラジオ局WSMが設立され、後にグランド・オール・オプリーと呼ばれる番組が始まりました。これにより、音楽の中心地としてのナッシュビルの名声は更に確固たるものとなり、ミュージックシティという愛称は永続的なものとなりました。

現在も毎週生放送で上演されているオプリーは、100年以上続いているアメリカで最も長い歴史のあるラジオ番組です。この番組は、数百人のカントリースターたちがキャリアの口火を切る舞台となっただけでなく、ナッシュビルがツアーとレコーディングの中心地へと爆発的に発展する導火線にもなりました。レコーディングスタジオや、レコード会社、芸能事務所、その他の音楽関連企業が集まる現代の帝国ともいうべきミュージック・ロウは、ナッシュビル南16番街と17番街に広がっています。

1945年12月、ライマン公会堂の有名な舞台でビル・モンローがマンドリン、レスター・フラットがギター、チャビー・ワイズがバイオリン、そしてハワード・ワッツがベースを演奏したとき、ブルーグラスという新しい音楽ジャンルが誕生したと言われています。後にバンジョー奏者のアール・スクラッグスがこのグループに加わりました。

今日、ライマン公会堂はアメリカで最も有名なコンサート施設の1つとして130年以上の歴史を誇っており、2,362席しかないにもかかわらず、普段はアリーナやスタジアムで演奏しているスターたちもパフォーマンスを披露しています。そういったライマン公会堂でパフォーマンスを披露している有名ミュージシャンをあげていけば、ブルース・スプリングスティーンや、ガース・ブルックス、ポール・サイモン、フー・ファイターズ、リゾ、ジャック・ホワイト、ジェームス・ブラウン、テイラー・スウィフト、そしてハリー・スタイルズなど、枚挙にいとまがありません。そういったライマン公会堂でパフォーマンスを披露している有名ミュージシャンをあげていけば、ブルース・スプリングスティーンや、ガース・ブルックス、ポール・サイモン、フー・ファイターズ、リゾ、ジャック・ホワイト、ジェームス・ブラウン、テイラー・スウィフト、そしてハリー・スタイルズなど、枚挙にいとまがありません。

また、ライマン公会堂では毎日見学ツアーが行なわれており、有名な舞台に立ったり、ライマン公会堂に関する歴史映画や、オプリー出演者たちの衣装、ライマン公会堂の記念品を見たりすることができます。

受け継がれるレガシー

ナッシュビルは「世界のソングライティングの都」としても長い間知られてきました。世界各地からソングライターたちがソングライティングという芸術を学び、その情熱を分かち合うためにミュージックシティに集まってきています。有名なブルーバード・カフェでは、ソングライターたちが距離感の近い「イン・ザ・ラウンド」形式の舞台でオリジナル曲を披露しています。「イン・ザ・ラウンド」とは、ナッシュビルで生まれた円形の舞台を中心とした空間で、ソングライターたちは曲のインスピレーションとなった物語を共有することができます。ナッシュビル国際ソングライター協会(NSAI)は、この場所を本拠地として、ソングライティングという芸術を育み、アーティストの権利を守る活動を行なっています。毎年恒例のティン・パン・サウス・ソングライターズ・フェスティバルは、ソングライターたちが普段あまり経験することのないスポットライトを浴びるチャンスです。5日間にわたり300人以上のソングライターたちが街中の会場で演奏します。

近年、ケーブルテレビがミュージックシティのスターたちや音楽を世界中に放送するようになっています。CMTテレビは、カントリーミュージックを新たなレベルの称賛と認知へと導きました。ABCテレビがドラマ『ナッシュビル カントリーミュージックの聖地』の最初のシーズンを放送した後、CMTが引き継いで直近2シーズンの大部分をミュージックシティで撮影し、世界的な人気となりました。ブラック・エンターテインメント・テレビジョンでナッシュビルのボビー・ジョーンズが司会を務めたゴスペル音楽専門番組『ボビー・ジョーンズ・ゴスペル』は、ケーブルテレビの最長寿番組でした。この番組は2017年に37年間にわたる成功の歴史に幕を下ろしました。

また、ナッシュビルは、ポップスや、ロック、ブルーグラス、アメリカーナ、ジャズ、クラシック、コンテンポラリー・クリスチャン、ブルース、そしてソウル・ミュージックなどの中心地でもあります。ローリングストーン誌は、ナッシュビルに「ベスト・ミュージック・シーン」の称号を与えました。作曲やレコーディングのためにミュージックシティを訪れているアーティストには、ロバート・プラントや、ポスト・マローン、アデル、エド・シーラン、マイケル・ブーブレなどがいます。キングス・オブ・レオンや、クリスティン・チェノウェス、ジャスティン・ティンバーレイク、ザ・ブラック・キーズ、マイケル・マクドナルド、インディア、アリー、ケブ・モ、シェリル・クロウ、パラモア、そしてジャック・ホワイトなどはナッシュビルを本拠地としています。

ナッシュビルには、北米最大のレコード工場であるユナイテッド・レコード・プレスがあります。1949年に創業したユナイテッド・レコード・プレスは、マイルス・デイヴィスや、ボブ・ディラン、ビートルズから、ビヨンセや、ジャスティン・ティンバーレイク、そしてリュダクリスまで、あらゆるアーティストたちのレコードを生産してきました。

シャーマーホーン交響楽団センターは、グラミー賞受賞歴を持つ有名なナッシュビル交響楽団の活動拠点で、最近「ミュージックマイル」に指定された中心街の特別な区域の端に位置しています。ミュージックマイルは、シャーマーホーン交響楽団センターと、ミュージック・ロウの音楽地区、デモンブルーン通りの活気に満ちた新しいエンターテイメントスポット、フリスト美術館、カントリーミュージック殿堂博物館、ミュージックシティ・ウォーク・オブ・フェイム、そしてブリヂストン・アリーナを結ぶ象徴的な道です。ミュージックマイルは、ミュージックシティの音楽が、ナッシュビルの経済と、文化、そしてエンターテイメントの各分野に共通するテーマであることを見事に表現しています。

ナッシュビルでは、昼夜を問わずライブ音楽を見たり聴いたりすることができます。ブロードウェイに位置する世界的に有名なホンキートンクでは、1年365日無料で生演奏を聴くことができます。大きなアリーナやコンサートホールから小さなクラブまで、ほとんどすべてのジャンルの音楽が楽しめる180以上の音楽施設が街に点在しているので、この街が「音楽の故郷」と呼ばれる理由がよくわかるはずです。

ナッシュビルと音楽のつながりは他に類を見ないもので、ミュージックシティとしての名声は200年以上にわたって一貫して証明されてきました。毎日欠かすことなく音楽が書かれ、録音され、演奏される街へようこそ!